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これまでに幾度となく
教えて頂いたことですが

マインドというものは
ホントに四方八方に
うろつき回るものだなぁ、と
思っております

心がホントに自分のものであるならば
自らの意思で完全に
コントロール化に置いて制御し

思い通りに自分を、なんなく
あらわに出来るはずなんですが

なかなかそうはいきません

これひとつ見ましても
自分と思っている
自分とは

本当の自分ではないのだ
と、わかります

あてなく興味に従って彷徨う
このマインドに

ずっと付き従って
一緒に彷徨ってきたわたし

いつも騙されっぱなしで
主導権を握られてしまう!?

我ながら弱ったものです

このマインドとは
煙りのようなもので
ホントは実態などないのだ!!

自分と錯覚している
このマインドは
存在しないものとして

俯瞰しよう
なるべくほかっておこう
他者として扱おう

心と身体は
この世を生きる為の道具にすぎないと
言い聞かせよう

そしてもう私は真我以外の
何ものでもないのだ

ふたつとない存在

わたしは全てだ、と思おう

マインドという小さな殻に
自分を押し込めるのはもうよそう

わたしは〝全て〟

少しずつですが
そう思えてきました


日浦祐次先生の公式ブログ
https://rara-japan.hateblo.jp/


私たちの社会は
資本主義ですね

このシステムはどうやら
成長することが
善となっているようです

昨日よりも今日
今年よりも来年と

右肩上がりに成長させていくことが
どうやら良いことだとなっているようです

そこで気付いたのですが
こういう仕組みの中に
いるからなのでしょうか

どうも私たちはこの
〝成長〟という言葉に
弱いです

成長、と言われますと
とにかくそれは素晴らしい
と、なってしまいます

しかし、本当に
成長は善、なのでしょうか??

心の世界、宗教の世界は
どうでしょうか?

たいがいの教義は
人の心を右肩上がりに
成長させていこうとする
教えに見受けられます

人を愛する、ということは
簡単でもありますが
また困難なことでもあります

自分の娘は可愛いものです
しかし、会社でパワハラをする上司は
可愛いとは思えません

けれども、その二人を同じ神の子として
愛せ、というのですから
なかなか難しい話しです

それを克服していくにはどうすればよいか
というのが、信者に課せられた教えです

疲れますね
くたびれますね

会社でただでさえ、業績を右肩上がりに
上げていかなければならないのに

パワハラをする上司まで
神の子として愛せっていうの
ですから

心の成長とは
しんどい話しです

私みたいな不良信者では
途中でそんなことはできるものか、と
投げ出すことになります

ある程度の常識くらいの理性までしか
実際には働きません

〝心〟とはなんなのでしょうか??
私にはまだよくわかりませんが
心とはそもそもが
〝自我〟であり〝エゴ〟だから
難しいのではないでしょうか

夏の日、庭に茂る雑草は
刈っても刈っても生い茂ってきます

無くなったと思っても
また勢いよく生えてきます

自我とは夏の日の雑草のように
刈っても刈っても無くならない
ものだな、と思いました

身体と心は、
本当の自分ではないのだから

そんなフェイクな心などは
成長させる対象などではなく

〝消滅させるべき対象〟なのだと
学びました

成長しなければならない!
この言葉にずっと
マインドコントロールされてきた
気がしています



日浦祐次先生の公式ブログ
https://rara-japan.hateblo.jp/

ずいぶんとご無沙汰のブログ更新です

暑さと忙しさの夏でしたが
ただただ仕事をこなして
時間を潰してきただけのような日々でした
(今もまだ変わらないのですけれども)

世の中に生きる私たちは
このように時間を費やし
生きているのだなあ
と思ってしまいます

いや、待てよ

〝生きている〟
という言葉を使いましたが
何やら少々違和感を感じますね

何かが違う

生きている、というには
ちょっとおこがましい

そのようなことを考えてみましたら
もっとしっくりくる言葉が
見つかりました

それは″生活〟という言葉です

生きている、というよりも
生活をしている、というほうが
今の私にはしっくりときます

生きること、と
生活すること
辞書的にはほとんどが
同じ意味合いなのでしょうが

魂という観点から考えてみますと
どうなのでしょうか

すると少々の違いが見えてまいります

生活という言葉には
衣食住といった物質的な
暮らしの匂いがするものです

ところが〝生きる〟
となりますと

暮らしの営みの枠を超えまして
何やらもっと深遠なところまで
その範疇に入りそうです

この世は幻影の世界

しかし私たちは死なない限りは
この世の日々の生活に直面しなければ
なりません

生活とは、時間を容赦なく
潰していくものです
そして私たちはすぐに寿命を迎えてしまいます

はたして私は
生きているのだろうか?

ただただ生活をしているだけ
ではないのだろうか?

生活を繰り返す
この輪廻転生とはいったい
なんなのだろうか?

絶え間なく生活はしているが
魂として本当に生きているのか
と、感じてしまうこの頃です

生活をしている死人ではないのか
これがマーヤの世界の私の姿か

う〜ん。嫌なものです


日浦祐次先生の公式ブログ
https://rara-japan.hateblo.jp/

仕事が忙しいせいか
気がつけば8月ももう終わり

秋の気配をわずかながらですが
ほんの少しだけ感じますここ数日です

まだまだ暑いですけれども
お盆を過ぎましたら
空の色が少し優しくなりましたね

さて、このかんのわたしといえば
やっぱり、マインドは余計なことを
考えるものだと気がついております

日々考えていることの大半は
考えなくてもよいことばかり

実に余計なことを考えているのだと
気がつくようには
なってきております

考えてしまう自分と
がっぷり四つに組んでしまいますと

どうにも苦しくもなって
まいりますもので

それはそれで、ああ
これは余計なことだなあと
最後にそれで締めてしまうことにして
おります

それが功を奏しまして
執着もだんだんと
しぼんでいくならば
とても良いことだと願っております

歳が若い時には
欲しいものや、飾って身につけたい
ことばかりでしたが

歳も上がってまいりますと
そういったものは
やっかいですし、疲れますし
減らしていくに限ると
思えてくるものです

余計なものは身に付けず
余計なことは考えず

シンプルに単純に
なりたいものだと
思います

単純になれるということは
なかなか、むつかしいこと
ですけれども


日浦祐次先生の公式ブログ
https://rara-japan.hateblo.jp/

やっとお休み
お盆休みです

皆さまご存知のとおり
田舎の岐阜なのですが
ニュースで暑い暑いと
有名になっております

実際にはそのまま暑いです

こう暑いとバテてしまい
文章など書く気が
起こらなくなってしまいます

肉体、マインドは外の環境に
弱いのでしょうね

影響されてしまうのも
わかります

そう言えば暑い南国で
有名な文芸作品など
生まれにくいのでしょうか
ピンときません

やはり寒いロシアなんかですと
じーっと暖炉の部屋なんかに
いるものですから
長編の文芸作品なんかじっくりと
書けるのでしょうかね

灼熱の太陽のもとでは
思索も進まないですよね

そう考えてみますと
人というものは環境に弱いものですね
そう思えます

たった気温ひとつで
変わってしまうのですから
これがそのほか、文化や文明
時代や地域性
食べ物や生活、家族や友人

仕事や本人の経済的な状態
世の中の流行りや
常識、モラル、政治や法律
そして過去生のカルマに至るまで

ありとあらゆるものが
重なり溶け合って、今の自分というものが
ここに出来上がってあるのだと思います

しかし、それらに共通することは
全てが外部、外からの影響に
よるものと言えるのでは
ないでしょうか

そう考えてみますと
わたし、と思っているものは
内側からではなく
外側から来たものによって
作られているようにも思えます

本当の自分とは、内側にある魂から
湧き上がって、それを、自分と
自覚できるものではないか、と
思いますが

しかし、それに気がつかず
外部からの影響によって
自分が出来上がってしまう

それを、わたし、と思い込んでしまっている
のではないだろうか

外部からのものに
極力影響されず
内側に沈んでいる魂に
意識を向けていきたいものだと
思う、暑いこの頃です

※お盆休みはしばらく暑い岐阜を離れます。。。。。


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