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就寝につきますと
夢はよくみるようです

たいがいは、はちゃめちゃな
場面が多いのですが、それでも
その時の本人は割に
はちゃめちゃとは思わず
夢の中で過ごしております

おとといでしたか

よくは覚えていないのですが
確かどなたかに
あなたが思っている悟りとは
あなたが思っているものとは
まだまだ違うものなんだよとか
なんとか

言い回しは覚えていないのですが
確かそのような話を聞かされている
夢を見ました

あなたはまだわかっていないよ
と言うような話だったか
と記憶してますが

そして目が覚めまして
思わずそりゃそうでしょうよ、と
つぶやいてしまいました

そう言えば昨日の夢でしたが
何やら黒板のようなものに
文字が書かれていまして

目が覚めましても
その文字を覚えてましたもので

意味はなんだろうかと
すぐにネットで調べてみました

文字は何かと言いますと
只管打坐、と確か書かれてました
私はその意味を知らなかったのですが
調べて見ましたら

余計なことを考えず
ただひたすらに座禅をしろ
という意味だそうです

またまた、そりゃそうでしょうよ
などとつぶやいてしまい

こちとら、仕事で忙しく
疲れているんだな、などと
言い訳をしましたが

それはやっぱりよくないなあ、と
思い直しました

夢にどんな意味があるのかは
さっぱりわかりませんが

これもきっかけと思い
もうちょっと
瞑想に取り組む時間を増やしまして
マインドを小さくして
いかなくては

と思った次第です


日浦祐次先生の公式ブログ
ラーラ・ジャパン

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この世の中に生きていて

一番多い悩みごととは
何かなあ、と考えてみましたら

まずもって〝人間関係〟が
一番の悩み事なのではないでしょうか

職場や家庭、学校から
彼女彼氏と、この人間関係に
関する悩み事というものは
尽きない悩み事だと思われます

ところが最近のわたくしごとですが

昔に比べましたら
この人間関係で悩むと
いうことは激減していると
気がつきました

年齢が上がってきたことも
あるのでしょうが

かなりと言いますか
ほとんど人間関係での悩みは
無いことに気がつきました

そこで思いましたことは
そういえば
他人に興味が無くなってきたなあ
と、気がつきました

何故他人に興味が無くなって
きたかと言いますと

この世はマーヤ(幻影)で
自分と思っていた心も
〝偽物の自分〟であるならば

他人だって偽物の自分で
生きているのです

私と同様にマインドに
騙されて本性があらわに
なっていない者同士なのです

そう思いますと

そのような他人に
何かを期待するのも
過度な関心をもつのも
怒りを持つのも
非難をするのも
何かおかしい、と
思ったようです

もっと申しますと
自分にすら、そう言えば
関心が薄くなってきたのかも
知れません

自分の考え、と言っても
しょせんはマインドのたわごとか
と、自分に冷めることも
増えました

そうなりますと、おのずと
人間関係での悩み事など
無くなってまいります

けれども職場で無口に
なっているとか
無気力になっているとか
ではありません
むしろ誰よりも存在感は
出ているようです

さらにもっと申しますと
もうこの世の中で
〝悩む〟などとという事自体が
もうバカバカしくて仕方がないのです

ですから幸いかな

今まで生きてまいりまして
今がいちばん悩み事の無い
日々なのです

日浦祐次先生の公式ブログ
ラーラ・ジャパン

宗教やスピリチュアルに
傾倒した人たちにとって
〝あの世〟のことは
とても興味があることではないでしょうか

しかし、私はむしろ〝この世〟に
ついてのほうに興味がありました

それは今生きている
〝この世〟をどう見るか
ということでございます

この世とはそもそも何なのか?
どういう意味があるのか?
目的は何なのか?
何のために何故生きるのか?

ずいぶんと悩みました

〝この世〟について、ちまたの
教祖さまや霊能者たちから
熱心に学びました

そして行き着いたところは

・まず、この世が全てではなく
あの世があるということ
・人は永遠の輪廻転生をしていること
・人生の目的とは、カルマを修正すること
魂を進化させること、この世を仏国土
ユートピアにすること

その為に私たちは、肉体に宿り
最もきびしいこの世という
物質界で、魂磨きの修行を
しているのだ

と、学んだのです

ですから、この世とは
〝自らの魂を進化成長させる場所〟
と、信じておりました

〝この世は魂の学習の場である〟
そう信仰してきたのです

ところが、日浦先生との出会いによって
考えが崩れて変わりました

私が衝撃を受けたことは、この
〝この世〟をどう捉えるか
だったのです

私がそれまで信じてきたこととは
全く違っておりました
(腰を抜かすとはこのことでした)

前の回で書きましたが
自分と思っていた
〝心〟とは本当の自分ではなく

その奥にある真我、原質、アートマン
(言葉での表現ですから様々な言い方が
あるのでしょうが)
〝魂〟が本当の私であったのです

ですから、この世とは
まやかし、偽物の心が投影した
マーヤ(幻影)の世界であったのです

と、なりますと
実は自分と信じてきたこの〝心〟も
意味があると思ってきた〝この世〟も
そして、その中で懸命に生きてきた
この〝人生〟も

私が信じてきたものとは
全く違うものでした

真実とは残酷なまでに
意外なものであったということを
知りました

〝この世〟をどう捉えるか

ここのところを間違えて
しまいますと、これまた
針路がずれたまま進む船のように
どこに漂着してしまうか
わかったものではありません

ちまたの宗教やスピリチュアルでは
皆が共感できる愛にあふれた
良い話を軸にして
もっともらしい教義を説いています

それらにずっと
だまされ続けてきたのだと
知りました

〝この世〟をどう捉えるか

ここのところは
絶対に間違えてはならない
と思った次第です


日浦祐次先生の公式ブログ
ラーラ・ジャパン

今回は日浦先生のブログ
〝苦の消滅〟につきましての
感想の回にさせていただきます

日浦先生との出会いから
数年が経ちますが

いちばん受け入れるに
困難だったことが
この〝心〟の捉え方でした

宗教、スピリチュアルを
信じる人たちには

身体は本当の自分ではない
ということは
受け入れ易いことと思います

では本当の自分とは何か?
という問いには

たいがいの宗教、スピリチュアルは
〝心〟が本当の自分である
と言われます

ですからこの〝心〟を大切にして
いかに成長、進化させて
いくかという教えになるのでしょう

しかし、この〝心〟は
本当の自分ではありませんでした

ラマナマハルシ師は
心とは実体はなく
単なる想念の束でしかないと
言われました

本当の自分と思っていた
この〝心〟こそが
いちばんの弊害であり
苦悩の原因であったということ

〝心〟をこそ
消滅させなければならないのだ

このことを
受け入れるに迷いが生じましたし
時間もかかりました

何せマインドで生きていますから
自らが自らを否定するという事に

そうそうマインドも協力的であるはずもなく
私を欺こうと手を休めないものですから
簡単なことではありません

諸悪の根源は
〝私〟と思っている
この〝心〟だったのです

この〝心〟の
捉え方が間違っていますと
たいへんなことになります

いくら愛だ慈悲だ反省だ懺悔だ
聖霊だ輪廻転生だカルマだと
何を言っても真実からは
離れてしまうと思いました

それはまるで針路がズレたまま
進んでいく船のように

行き着く先は目的地はおろか
何処に漂着してしまうのか
わかったものではありません

このまやかしの偽物の心で
生きている自分とは
悲しいものです

自分を全く知らないでいる
わけですから
情けないものです

私はずっと夢をみてきて
今もまだ夢から覚めないでいる
状態ではないのかと思っております

就寝につき夢を見ている時
本人は現実の世界にいるように
その中で振る舞っているものです

起きてみますと
あれは夢の中の出来事であり
現実では無かったと知ります

真実なる自分に目覚めて
魂が解放されたならば

今生きているこの人生も

これは夢だったのだ、と
思うのでしょうか

もしそうならば
早くこの夢から目覚めたいものです

いや〝夢〟というよりも
〝悪夢〟と書いたほうが
正しいのかも知れませんが


日浦祐次先生の公式ブログ
ラーラ・ジャパン

これまでに幾度となく
教えて頂いたことですが

マインドというものは
ホントに四方八方に
うろつき回るものだなぁ、と
思っております

心がホントに自分のものであるならば
自らの意思で完全に
コントロール化に置いて制御し

思い通りに自分を、なんなく
あらわに出来るはずなんですが

なかなかそうはいきません

これひとつ見ましても
自分と思っている
自分とは

本当の自分ではないのだ
と、わかります

あてなく興味に従って彷徨う
このマインドに

ずっと付き従って
一緒に彷徨ってきたわたし

いつも騙されっぱなしで
主導権を握られてしまう!?

我ながら弱ったものです

このマインドとは
煙りのようなもので
ホントは実態などないのだ!!

自分と錯覚している
このマインドは
存在しないものとして

俯瞰しよう
なるべくほかっておこう
他者として扱おう

心と身体は
この世を生きる為の道具にすぎないと
言い聞かせよう

そしてもう私は真我以外の
何ものでもないのだ

ふたつとない存在

わたしは全てだ、と思おう

マインドという小さな殻に
自分を押し込めるのはもうよそう

わたしは〝全て〟

少しずつですが
そう思えてきました


日浦祐次先生の公式ブログ
https://rara-japan.hateblo.jp/




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