FC2ブログ
ラーラ・ジャパンの日浦師匠の
ブログ
〝不変なるもの〟を拝見いたしまして

真っ先に思い浮かんだのが
〝池の鯉〟でした

唐突なんですけれども
池に人が立って餌を投げようと
しますと

びっくりするほどの勢いで
たくさんの鯉が口をぱくぱく開けて
餌に群がりますよね

日浦師匠のブログの教えを
まるで池の鯉のように
口をぱくぱく開けて
待っているようでは
もう何かいけないように
思えたんですね

もうしっかりと教えは
学びました

あとは内に向かうのみ
なんじゃないかと、、、、

・・・・・・・・・・

〜幸せについて想うこと〜

誰もが〝幸せ〟というものを
望むものです
それに疑いはないでしょう

けれどもでは〝幸せ〟とは何か
について問われますと
一瞬言葉に詰まるものです

肉体を持った自分のことを
自分に違いないと
疑いを持たない人にとっては
この世が全てです

けれどもその肉体を持った人にとっての
ゴール、終着駅は
誰にとってもそれは〝死〟です

どんなに頑張って幸せになろうが
失敗して不幸になろうが
最後に死を迎えることには
変わりはありません

ではあらためて〝幸せ〟とは
なんでしょうか?

私はこの世で本当の幸せを
得ることはどだい無理な
話しなのではないか、と
思っております

その理由は、この世の中の全ては
何ものもとどまらず、変化して
やまないものだから、と
思うからです
つまり〝無常〟ということです

真実なるものとは永遠に
〝変わらないもの〟であり
〝失うことなどないもの〟だと思います

そうなりますと
この世の中の全てのものは
変化してやまないものだから
全てが〝嘘っぱち〟だと言えます

どんなに努力して
何かを手に入れたとしても
それを永遠に手中に留め置くことは
出来ません

その持ち主自身がいづれ
この世を去るのですから
無理な話しですよね

幸せ、と思っているものでも
何もかもひっくるめて
全てがとどまらないのです
消え去るのです

ですから、この世で本当の幸せを
得ることは、
どだい無理な
話しなのではないか、と
思うわけです

この何ひとつとどまることのない
変化してやまないことを
一言で〝嘘っぱち〟と呼べませんかねえ

ですからこの世の中で
どんなに一生懸命に幸せを
求めてみても、嘘っぱち、だから
結局は
何も手元には残らないのだと
知ったのです

向かうべきは外側の世界ではなく
内側にある
私の本性、真実なる魂に
向かうことなのですね

そうなりますと、自然と
〝沈黙〟にならざるを
得ないのかな、、、
なるほど


日浦祐次先生の公式ブログ
ラーラ・ジャパン
line
〝個人はなんの役にも立たない〟

とは、ニサルガダッタマハラジ 師の
お言葉で

個人は捨て去るべきもなのだと
自分に言い聞かせてはいるものの

なかなか仕事など日常生活の中では
忘れがちになってしまいます

けれども前に比べまして
変化があるとしましたら

〝何とかしなければ〟とか
〝何とかしたい〟という
力の入った想いが少なくなりました

何とかしなければ、と想いましても
これまでそうそう想い通りに
なった事もありませんし
そもそも何とかしなければ
とは誰の想いか?
何のためか?

ニセモノの自己(マインド)
つまり〈個人〉など
何の役にも立たないのだ、という
真実

巷ではこの認識がなく
そもそもの出発点が間違っているので
不幸になってしまうのだ

そんな無力な個人などに期待など
出来るものではないなあ、と

個人などというものは
無駄なことなのだ
捨て去るべきものだ

であるならば、そんなものを
後生大事にしてもなあ、と
想うにいたります

そう言い聞かせて
個人(マインド)の価値を
おとしめて小さくするように
いたしております

得ようとしたければ
得ようとするこのマインド自体を
消し去らなければならない

という、逆説的に聞こえますが
一番の近道に、気がつかなければ
ならないのですね



日浦祐次先生の公式ブログ
ラーラ・ジャパン
line
年を越しました
歳も増していきます

年齢が上がってまいりますと
より一年が早く感じてもきます

お正月がすぎ、寒いなと思いきや
やがて暖かくなり
桜が咲いて散ったと思ったら
雨が降りすぐに夏になります

暑い暑いと言いながら
スイカを食べていますと
山々が色づき始め、やがて
秋の行楽シーズンとなります

すると紅葉の葉もすぐに落ちまして
コートなんぞを着込む寒さが
やってまいります

そんな時に、もーいーくつ寝ると
何て声が聞こえて来て
あれれ、あっと言う間に
年を越すのです

そんな一年の生活の中で
穏やかにこの世界に
安住出来れば幸いである
と、このマインドがささやくのです

そして常にマインドは
目先の小さな刺激を追い求め
この日常生活を飽きさせないように
退屈しないよう誘導していきます

そうやって繰り返し
繰り返し、寿命まで
いくのでしょうかね、、、、

それでも最後に
良い人生だったなあと
言えることはできるでしょう、きっと
言葉とは魔法の道具ですね

木の枝が芽吹き、葉っぱがでて
若々しい新緑から
落ち着いた深緑となり
やがて紅く色づき始め
真っ赤に染まり散っていく

葉っぱを見ていますと
何かしら人生に似て
変化があるように
思えてしまうのですが
実は何にも変化などしていないのだ
と思います

私たちが人生と言って
この目に映っている世界は
一貫して、まやかしの世界

いやこの人生だけでなく
輪廻転生している無限の
この繰り返し自体
何にも変わっていないんだ

一貫して偽りを偽りと気付かずに
変化の中に生きていると
錯覚しているだけだった

実はなーにも変わっちゃいなかった
幻影を見続けているだけだったのだ
とうの本人は、眠ったままなのか

無限の過去からこの今も
幻影を見続けているというならば

なーにも変わっちゃいないという
この繰り返しに
さすがに疲れたなあ、と
もう繰り返すのはよそう、と

このまやかしの人生というものが
嫌だと思いますと
解脱に向かうしか
解決の道はないのですね


日浦祐次先生の公式ブログ
ラーラ・ジャパン
line
12月のセミナーに参加いたしました

私はこれまでの人生の中で
まあまあの宗教書や哲学書など
読んでまいりましたが
なんと申しましょうか

今回のセミナーを受けまして
〝究極〟の教えに触れたと
思いました

真実とは実にシンプルなもの

複雑さが迷いを生み
勝手な解釈をし
真実を曇らせてしまう
そして悟りとは難解なものだと
自己に言い聞かせてしまう

教えるものがそうさせるのか
あるいは悟っていないものが
語るからそうなのか

ラーラ・ジャパンでの
日浦師匠の教えは
学びの為の学び、ではありません
すべては個々の実現の為の学び、です

実際に、いかに、無駄なく
最短距離で、真実の自己に
至るかのセミナーですから

これほどまでに言葉が
削ぎ落とされた
核心の中の核心が
述べられた教えは他にありません

そしてそれは全ての宗教や
スピリチュアルだけでなく
人類の根っこのところからすべてが
ひっくり返ってしまう教えですから
迫力があるのです

今回のセミナーは
「霊眼の開花」でした
毎日の修練と
年末年始の休みに集中して
開花に向けて励みます


日浦祐次先生の公式ブログ
ラーラ・ジャパン
line
気がついたらもう年末に近づいてきました
早いものですね

今年一年も慌ただしく終わってしまいそうです
時間と言うものは不思議なもので

とっても退屈で長い1時間もあれば
あっという間に終わってしまう
一年もあるものです

時間の感覚とはマインドの勝手な解釈なのか
時間という尺度もまた幻影の賜物なのか
いや〝時間〟そのものがマーヤなのですね

さてさて、話しは変わりますが
最近はほとんどTVは見ませんが

ネットでニュースはわりかし見ています
これもあまり見ない方がよいのですが、、、

しかし世界中が、なんのかんのと
揉めてますね

よくもまあ、こんなに揉めるもんだと
思います

国内外問わず、誰かが何かを言いますと
それに反発が出てきます
疲れますね

なぜ揉めるのかの原因は共通して
利害関係ですね
損するか得するかが全てです

これは単位が小さくなって
数人やたった二人になっても
同じ原理が働いて

損するか得するかで
揉め事が起こってしまいます
疲れますね

これは資本主義の利益至上の
考えから来ているものか
もともとの人間のエゴからか
とにかく

得することは善で
損することは悪だ、という
何かもう信仰のように
それをもとに生きているようです

そりゃあ、誰だって損は
したくないですけれどもね

でも、いいじゃないですか
少しくらい損をしたって

そんなに影響もないでしょうが
くらいに生きた方が楽では
ないでしょうか

別に得する為だけに生まれてきた訳では
ないでしょうに
そうそう損得にこだわりなさんなよ

と、自分にいいきかせますと
そんなに惜しくない
悔しくもなくなるものです

そう言えば思い出しましたが
森鷗外の〝寒山拾得〟という
作品に昔、感銘を受けまして

この私の話しを違う面から上手く
小説で語ってくれてますので
暇がありましたら読まれてみたら
いかがでしょう
とても短い短編です

まあ、森鷗外は文学はすごいなぁ
と思いますが、人としてはとても
許しがたいヤツだと私は思ってますが、、
まあ、小説は良いです


日浦祐次先生の公式ブログ
ラーラ・ジャパン
line
line

line
検索フォーム
line
リンク
line
sub_line